狸のしっぽタイランド編  2004年1月〜12月



NO.11 2004.1.22  タイの歌を歌う

サワディーカ。バンコクに住んで7ヶ月半。
私は、一曲だけ、タイ語の歌を歌えるようになりました。
そしてその歌が、私を新たな展開へと導いてくれました。

いくらやっても身につかず、すぐに忘れてしまうものだから、「もう、タイ語
は捨てた。覚えなくても何とかやってゆけるしね。」と思った私でした。

でも、言葉はわからなくても面白そうだからと、ナンさん(お手伝いさん)を
誘って、「ビューティフル・ボクサー」という映画を見に行ったのでした。

そして、主役のアッサニー・スワンに、心ひかれた私は、さらに、その映画の
サウンドトラック盤のVCDを買って、ところどころに挿入されている映画の
シーンを懐かしく思い出しながら10曲の歌を聴きました。

「TUR(MAH−JARK−NAI)」という歌は、この映画のテーマソン
グで、「ASANEE CHOTIKUL」という人が歌っています。
歌詞は全然わからないのだけど、メロディーが心に響いてきて、私は、「この
歌の意味を知りたい。そして私も歌いたい。」と、強く思いました。

タイではカラオケがとても流行っていて、VCDには、タイ語の歌詞と、その
下にそれをローマ字読みにしたものが入っています。でも、そのローマ字読み
のとおりに発音しても、正しいタイ語にはならないのです。

ということで、私はナンさんに協力を頼んで、パソコンの画面を止めながら、
ナンさんはタイ語の部分、私はローマ字の部分を書き写したのです。
次に、一つ一つの単語の意味を調べていったのですが、まずは、ローマ字の発
音から、発音記号を類推して、それを辞書で引くという作業と、ナンさんがタ
イ文字を辞書で引き、その日本語訳のところを見るという作業を続けました。

しかし、私達の持っている簡単な辞書では語彙が少ないので、私は、さらに詳
しい「タイ・日辞典」を買ってきて、その中から言葉を捜してもらいました。
ナンさんは、簡単な日常会話はできても、それ以上の内容になると、説明がで
きないのですが、それでも、熱心に辞書をひいては、なんとか言葉のニュアン
スを伝えようとしてくれました。

二人で協力して、何日もかかって、なんとなく、歌の世界が見えてきました。
私は、より正確な発音に近づけるために、この歌を、タイ語学校で習った発音
記号で、書き直し、何度も歌を聴いて、練習しました。
私がパソコンの画面を見ながら歌っていると、ナンさんも、そばにきて一緒に
歌います。ナンさんが歌うとなんだかお経を唱えているみたいに聞こえるので
すが、私達は、やっと二人で歌えるようになったことがとても嬉しかったです。

そして、この大変な作業をやっている途中で、私の心の中に「これだけ苦労し
たんだもの、どこかで歌いたいよね。」という思いがわいてきて、年末に予定
されていた忘年会で歌おうと決めたのです。
そして、自分の発音でタイ人に通じるかどうかをチェックするために、車の中
で歌って、いつもお世話になっている運転手さんにも聞いてもらいました。

ということで、パートナーの会社主催で、日本人8家族、タイ人20家族程で、
忘年会があった時、私は、カラオケのコーナーで、紙に書いた発音記号を見な
がら、この歌をアカペラで歌ったのです。

この体験がきっかけとなって、私は、もっとタイの歌を歌いたい。そしていつ
かは、自分の歌をタイ語で歌いたいと思うようになりました。
そしてナンさんも、もっと自分が伝えたいことを日本語で話せるようになりた
いと思ったのです。

ということで、私はタイ語、ナンさんは日本語に、再チャレンジする為に、週
に一回家庭教師に来てもらって、二人で一緒に勉強することになったのです。

そして、アッサニー・チョーティクルの歌う、「TUR(MAH−JARK−
NAI)」は、タイで暮らす私にとっての、大切な応援歌になりました。

少しニュアンスが違うかもしれませんが、私なりに大体こんな風かなと、でき
るだけ直訳に近い感じで訳してみたものを紹介します。


「あなた(どこからきたのか)」  


私は、あなたが何処からきたのかわからない。

私のいのちの中に、いつ入ってきたのかもわからない。

私は、あなたのことを差し込む太陽の光のように感じる。

あなたは、心が満ち足りるということを教えてくれた。

私はあなたが私の心の中に入ってきて、そこに居るように感じる。

そして私は、以前と同じではなく、新しい人へと変わってゆく。

もし、あなたがいなければ、私はどうしたらいいのかわからない。


私は、あなたのことを差し込む太陽の光のように感じる。

あなたは、心が満ち足りるということを教えてくれた。

私はあなたが私の心の中に入ってきて、そこに居るように感じる。


私は新しい人になってゆく。以前のように、寂しくはない。


**********************************************************************

以前は見ただけで、わからないと決めつけていたタイ文字ですが、歌詞を読め
るようになりたくて、読み書きを練習しているうちに、随分覚えてきました。
自分のやりたいことを、自分のペースで、自主的にやるのが一番なのだと身を
もって体験しました。心からわきあがってくる思いに支えられて何かをやる時、
苦手で辛いと思った勉強さえ、新しいことを覚えていく喜びに変わりました。

そして明日は、中国のお正月です。タイには中国系の人が多いので、バンコク
もお正月ムードで盛り上がっています。
私も、今日は、ナンさんと一緒に中国人街に行き、新年を祝う予定です。
二回もお正月が来るなんて、ほんとうにお目出度くて、楽しいです。ふふふ。



NO.12 2004.2.20 タイの生活あれこれ


サワディーカ。
今年のバレンタインデーは、私にとって特別な夜になりました。
でも、そこに至るまでに、色々なことがあったのです。

「こんなところに居る日本人は、奥さん一人ぐらいだ。」と、ナンさんが面白
そうに言う。
そう、日本語が話せるお手伝いさんのナンさんと出会ったことで、私達は地元
のタイ人しか行かないような所に出かけてゆくようになったのです。

まずは、信仰心の篤いナンさんが日曜日になると出かけて行くお寺に、白い服
を着て何度か出かけてゆきました。お坊さんの話を聞き、信者の人達が唱える
お経を聞いても、どんな内容かはまったくわかりません。
でも、その声のひびきを心地よく感じながら、心の中で「タイ王国が平和であ
りますように」と、祈り続けていると、私達の祈りの波動が一つにとけあって、
大きく広がってゆくような感じがしました。
そして、お寺で昼ごはんをごちそうになって帰ってくるのです。

タイには中国系の人達が多いので、旧暦の中国のお正月の頃のバンコクは、赤
一色という感じになります。
そして、1月22日。私は赤い服を着て、ナンさんと、友達の四人で、新年を迎え
る中国人街へ行きました。
この日は王室の方々(王様の子供の方々)が、来られるというので、それをひと
目見ようとする人達で身動きもできないほどでした。
警備の人達や、お付きの人達の車がたくさん連なっていたのですが、それらは
群集に取り囲まれるようにして、ずーっと長く一列に連なっている状態なので
す。私達とそれらの間には、何もなく、ただ警備の人にここまで下がりなさい
と言われた、二メートルも離れていないところまで下がって、前のほうの私達
はしゃがんで、後ろの人は立っているだけです。
そして王室の車はほんの一瞬、私達の前を通り過ぎたのですが、もう少し先の
ほうでは、車を止めて、王室の方々が車から降りられたとのことでした。
「こんなに無防備でいいの!」と私は思いました。
中国人街と言えば、小さないくつものお店がひしめきあい、地元の人達でごっ
たがえしていて、中に入ったら抜け出れない感じのところでもあるのです。
でも、ナンさんは確信を持って言いました。
「みんな王様が大好きなんです。だからお正月の時に王室の人達に来て欲しい
のです。」
「スゴイぞ、タイランド」
タイ人は心から、王様を愛している。王様も国民を愛している。そしてゆるぎ
ない信頼関係で結ばれている。それを肌で感じて、私は胸が熱くなりました。


そして、タイ人の心を熱くする人と言えば、スーパースター「トンチャイ」
彼の母はタイ人、父はイギリス人で、ちょっとハスキーな声が魅力的です。
そして、2月7日。王宮前広場で、「鳥肉を食べよう」というキャンペーンがあ
って、その日は鳥肉料理が無料で食べられるのと、野外ステージで無料のコン
サートがあり「トンチャイ」も来るということを聞きつけた私は、ナンさんを
誘って出かけたのです。
またしても、人、人、人、でごったがえしていて、こんな所で迷子になったら
家に帰れなくなります。ということで、この日は私を見張るために、ナンさん
だけでなく、運転手のワタナさんも一緒に来てくれました。

私達は、早くから出かけてゆき、できるだけ前の方に行って待っていました。
始めは、タイのアイドル歌手、そして演歌歌手の歌があって、最後に「トンチ
ャイ」が登場して、会場は一気に盛り上がってゆきました。
大きなスクリーンもあったけれど、私はかなり前の方にいたので、本物の「ト
ンチャイ」を近くで見ることができて本当に嬉しかったです。
私もナンさんも、会場を埋め尽くしている人達と一緒になって、体を動かし手
を振り上げ、トンチャイの歌にひたり、楽しい時間を過ごしたのでした。
コンサートは初めてというナンさんは、この日、私達の車を止めるのに、いつ
も行っている近くのお寺の駐車場に、案内してくれたのですが、「お坊さん、
ゴメンナサイ」と手を合わせていた姿がなんか可笑しくて可愛いなと思ったり
もしました。


そして、2月14日。パートナーの会社の運動会がありました。
1000人ほどの従業員が、四つのチームに分かれて、サッカーや綱引き、二人三脚
や風船割り、そして賑やかな応援合戦で、盛り上がりました。
タイに住んで八ヶ月ほどになる私の心には、縁あって、パートナーと一緒に働い
ているタイの人達を、家族のように思う気持ちがわいてきていましたが、運動会
を見ていて、その思いはさらに強くなってゆきました。
そして運動会の後で、場所を変えて、パーティーがあった時、私は、会社の人に
頼んで紙に書いてきたタイ語の挨拶をさせてもらうことにしたのです。

この日は、地元の生バンドの人達とダンサーの人達が来ていて、ステージで待機
していました。そこに上がって1000人のタイの人達に話しかけるのには少し勇気
がいりましたが、私は心を開いて一歩踏み出したのです。

「サワディーカ」
「ワンニィ・サヌックマーク」(今日はとても楽しかったです。)
と言ってから、私は一行ずつ、紙に書いてきた私の気持ちを伝えてゆきました。
「私は、タイの国が好きです。」
「私は、タイの国のことをとても知りたいと思います。」
「私は、タイの人達の深い心を知りたいと思います。」
「私は、タイの仏教と、タイダンスと、ムエタイと、タイの音楽に興味がありま
す。そして、それらについて学びたいと思っています。」
「私は、歌を歌うことが好きです。」
「私はタイの歌を一曲だけ歌えます。それを歌います。」

そして私は、「TUR(MAH−JARK−NAI)」を歌ったのです。
それは、私にとって、ずっと心に秘めてきた、タイという国への愛を、告白する
儀式のようでした。

そして、ステージでは、バンドの人達による賑やかな演奏が始まり、100人ほどの
人達がその前で踊り始めました。
特別に難しいステップを踏むわけではなく、ただ思い思いにリズムに乗って体を
動かしているだけですがとても楽しそうです。わかりやすくて、のりのいいタイ
のメロディーは、体に心地よくひびいてきて、体が自然に動き出してしまいます。
踊りに参加する人の数もだんだん増えてゆきました。

そして、聞き覚えのある「トンチャイ」の曲が始まった時、私はもうじっとして
いられなくなって、その踊りの渦の中に飛び込んでいきました。
楽しくって、笑顔がこぼれてきて、目が合う人みんなに微笑みかけていました。
彼らも嬉しそうに微笑みを返してくれたり、握手を求めてくれたりしました。

私は、フラフラになるまで踊ってから、席に戻って休憩しました。
と、そこに、信じられない光景が出現したのです。
さっきまでは、バンドのお兄さんが歌っていたのですが、女性のシンガーが現れ
て歌いだしたのです。Tバックの水着姿で!
と、その瞬間、今まですわってステージを見ていた人達も、ザワザワと立ち始め、
ステージの前へと移動していきました。
「スゴイぞタイランド。」
さすがに、この大胆なサービスには少しびびったけれど、それでもなんか健全だ
なと感じました。1000人の従業員の平均年齢は25才。みんな若いのです。
そしてこの夜、私達はみんな酔ったように踊ったけれど、一滴のアルコールも用
意されてはいなかったのです。飲み物は、水とコーラとスプライトだけでした。
ま、それも当然のことです。この人達にお酒が入ったらどうなってしまうのかは、
パーティーを企画した人達は百も承知。
ということで、八時半頃には、お開きになって、タイでの熱い夜は、幕を閉じた
のでした。

**********************************************************************

今、私には、心にとどめておこうと思っている二つの視点があります。
それは、「すべては波動でできている。」ということと「私達は一つのいのち
を生きるものである。」ということです。

私は、タイに来たことで、言葉に頼らずに心と体で感じて、知ってゆくという
体験をする機会が増えました。
それによって、少しずつ、自分と相手がつながっていることを実感できるよう
にもなってきました。
今私は、日本に居た時に、心と体について学んだことを、タイで、実践し深め
てゆけることが嬉しいです。



NO.13 2004.3.19  ナンさんとの交流

サワディーカ。
タイに来てから色々な人に出会ったけれど、この人とは、どこまでも深く語り
合いたいと思える人との出会いほど、心がわくわくするものはない。
そして、今私は、その人と一緒に暮らしている。

先日、ナンさんのお姉さんから電話がかかってきた。
家の窓の工事に、5000バーツ(15000円)かかったので、送って欲しいというこ
とだった。
いつもおだやかなナンさんが「もう、いや!」という様子でがっくりしている。
一ヶ月働いて、ナンさんの給料は、約7000バーツである。その中からずっと
田舎に仕送りを続けてきて、もうそろそろ自分の老後のためにたくわえたいと
思っていた矢先のことであった。

ナンさんの田舎は、イサーン地方の貧しい地域である。そしてナンさんは、病
弱な姉に代わって姪を育て、やがてバンコクでお手伝いさんとして働くように
なる。田舎に仕送りを続け、古くなった家を建て直した。そして去年の秋、姪
が結婚し、姉夫婦と、ナンさんの建てた家に住むことになった。
その時、ナンさんは、もうこれで、家族のために仕送りをするのは終わりにし
たい。後は自分達でなんとかやって欲しいと言っていたのだ。

そういう人生を生きてくる中で、ナンさんを支えていたのは、仏教の考え方で
あり、27才の頃から始めた瞑想であった。
ナンさんは、週に一度、お寺に行ってお坊さんの話を聞き、瞑想をしてくるこ
とによって、心がすっきりするという。
家族の色々なごたごたに苦しむ気持ちから離れて、大きな心で赦せるようにな
るという。
でも、こんな風にまた電話がくると、やっぱりいやになるよね。と言う。

私は、ナンさんの話を聞きながら、私がナンさんにしてあげられることって何
かなと思った。
それは、以前から、私の心にある一つの問いである。

私は、ナンさんのことを友達のように思って接していたし、ナンさんも楽しそ
うだったけれど、一度だけ、どきっとしたことがあった。
私は、タイでの快適な暮らしに有頂天になっていて、「サバーイ。サバーイだ
ね。一緒にサバーイに暮らそう。」というようなことを言った時、ナンさんは
「私は、サバーイでないよ。」と言ったのだ。
そうだった。ナンさんが家事をやってくれるので、私はサバーイでも、雇われ
ている立場のナンさんは、私達に気を使い働き続けているのだから、サバーイ
ではない。
そんな当たり前のことを思いやったことのない、自分の幼さ、身勝手さに打ち
のめされて、私は言葉を失った。
そしてその時から、お互いの立場やさまざまな違いを超えて、二人の心が交流
し、互いに育ちあってゆく生き方をしたいと強く思うようになった。

そして私は、今年から、週に一度、タイ語の家庭教師に来てもらうことにした。
ナンさんと二人で学ぶためである。
ナンさんは、日常の簡単な会話には不自由しなかったけれど、もう少し色々な
ことを日本語で話せるようになりたがっていた。そして私は、日常会話はでき
なくても、自分がどうしても伝えたいことを、タイ語でどう言うのかを教えて
欲しいと思っていた。

私はまず、自分のタイへの思いを紹介する言葉を教えてもらった。(それが、バ
レンタインデーの時に役にたった。)
しかし、私が伝えたいことをタイ語にする作業は難しかった。一行の文章を訳す
のにとても時間がかかった。
それは、言葉を支えている文化や価値観、環境の違いから、日本語の直訳的な表
現では、タイ人には伝わらないというのだ。そしてそのようなニュアンスのこと
は、タイではこんな風に表現すると言われても、それが日本人の私には、よくわ
からなくて、何度も質問をしては語り合ったからだ。

「私達のいのちは、心の深いところでつながっている。いのちは一つである。」
「宇宙の仕組みは体の仕組みと同じ。体の一つ一つの細胞の働きと、この世界で
の一人一人の人間の働きは同じ。」
「細胞に優劣はなく役割分担がある。人もみな平等で役割の違いがあるだけであ
る。」
「宇宙のエネルギーはこの世界に満ちていて、心の波動を合わせれば、それを取
り入れることができる。」

こういったことを、家庭教師の先生に通訳になってもらって、私達は語りあった
のだけれど、ナンさんはそれをほとんど理解してくれた。
「お坊さんの言ってることと同じだよ。」と言う。そして瞑想によって、自分の
意識が広がってゆく体験をしているナンさんは、むしろ私以上にこういうことを
体験的に知っているようだった。
そして、私達の日常に起こってくることは、すべて自分の心を育てるための勉強
であることも、ナンさんは充分に知っている。

ナンさんの田舎から電話があった夜、私達は長いこと色々なことを話した。
お姉さん達に「ノー」と言えないのはナンさんの課題なのかもしれない。
始めは、身勝手なお姉さんに腹を立てていた私だけど、パートナーに頼りっぱな
しの自分は、お姉さんと同じだと思えてきた。
そして、お姉さんのことはナンさんの問題だけど、もしこの先ナンさんが困るよ
うなことがあったら、ナンさんのことは私が守りたい。と思った。

そして最後に私は、「大丈夫。なんとかなるよ。ナンさんのような生き方をして
きた人は、この先絶対幸せになるに決まっている。」と、断言したのだ。
それが宇宙の法則だと私は信じているのだ。
自分の発したものが自分に返ってくるということだ。

ナンさんは、経済的には貧しい環境の中で生きてきた。教育も充分には受けてい
ない。50歳になった今も、低賃金で働き続けている。
でも、私は、ナンさんを尊敬している。家族に尽くし、さらに自分より貧しい人、
苦しんでいる人のために、日々祈りをささげているその心に感動する。
自分の国、自分が信じている宗教、自分の国の文化にゆるぎない誇りを持ってい
るその心に、凛とした美しさと強さを感じる。

ナンさんのように、貧しい人達が、底辺でタイという国を支えている。
確かに、ナンさんのようにおだやかで美しい心を持った人は、まだ少ないのかも
しれない。
しかし、ナンさんの心を育んだ、タイという国、そしてタイの仏教の底力のよう
なもの感じて、私はますますタイが好きになってゆく。

**********************************************************************

すべては波動である。そしてその人の心が発する波動が現実を創ってゆく。
国や民族や宗教や文化の違いを超えて、貧富の差や学歴の差年齢の差を超えて、
私達は、魂のひびきによって、出会ってゆく。
それは、今に始まったことではないけれど、私達が自分の心に築いてしまってい
る心の壁を消してゆくにつれ、ますますその傾向は強くなってゆく。

何処に居て、誰に出会おうとも、相手を恐れず、相手を差別せず、相手の中の美
しさを見ることの出来る人になってゆこう。
私達は一つのいのちを生きている。出会った人は自分の分身。相手への眼差しは、
自分自身への眼差しを反映するもの。
私達が、自分を赦し、自分を愛せる人になってゆくことが、世界を平和にする。



NO.14 2004.4.29  もっと狸になってやる

サワディーカ。
常夏のタイで、ずっと夏休み状態のたぬきです。
そして最近思います。「もっとたぬきになってやる。」
「そんなことをしたら日本に帰ったとき、社会復帰できなくなるよ。」という
声が聞こえますが、「いいんだもーん。」

ところで「たぬき」とは私にとってどんな存在のことなのか。
あるがままで赦されている存在。何ものにも縛られない自由な存在。
無邪気に今ここを楽しんで、いのちの喜びの中に生きる存在。
お手本は、赤ちゃんや幼子や、動物や植物や風や雲。

最近読んだ本の中に「わがままから思いやり」というフレーズがありました。
それは、人が子供から大人になってゆく順番であり、何かを成すときの順番だ
と思います。
善悪で判断しない。人と比較しない。自分に与えられた個性と環境の中で、自
分がやりたいと思ったことをやる。
誰かのためでなく、自分を表現することへの喜びから始める。
そして、そんな風に生きることで生じてくる新たな展開、変化した状況や環境
の中で、感じたり考えたりして、周りとの調和ということを考えてゆく。

たとえば、世界を平和にすることが一番の喜びの人は、そのことのために何か
をなすことが喜びになると思います。
でも、世界を平和にすることは、いい事だし正しいことだからと、頭で考えて
何かをなすとどこかに無理が生じるのではと思います。
それよりも、自分の心に喜びがあるとき、それは世界の平和につながってゆく
と思います。
たとえば花を育てたり、何かの仕事をすることに喜びを感じる人はそのことに
生きることで、心の中が平和で喜びに充ちてくれば、まわりにその波動が伝わ
ってゆくということです。

私は以前「狸のしっぽ」という歌を作りました。
それは、あるがままの自分を赦し、愛してゆこうという自分への応援歌でした。

  「狸のしっぽ」

どうしようもないやつだと言われても 
しかたがないじゃない これが私なんだもの
寂しがりやで泣き虫で 自分勝手で欲張りで 
気配りなしの怠け者 やきもち焼きの浮気者 
声はでかいし 目立ちたがり屋

だけど長所短所は裏表 面白真面目な狸さん 
丸ごとしっぽの先まで ピンピン元気に生きてゆきたい

人間なんてみんな 自分のしっぽに気づかない 化けたつもりの狸さん 
だからなんだか可笑しくて いとおしくてたまらない


この歌は本当に私を励ましてくれました。私の心が必要としていた歌でした。
でも先日思いました。
どんな自分も丸ごとOKと言えること、思えることが、私の一番の喜びだった
けど、今は、寂しがりやでない自分になることのほうに喜びを感じる。欲張り
でない、気配りのできる自分になれたほうが嬉しいと思う。
もっと違う狸になりたい。
しっぽは残っていてもいいから、それに気づいていて、どんなものにも自由自
在に化けきることができる狸になりたい。

じつは先日、そのことを強く意識させられた出来事があったのです。
私は、わがままで、気配りなしでふるまってしまう人間なので、そのせいで、
誤解されたり、お互いに不愉快な気分になることが、時々起こっていました。
そのたびに、私は自己嫌悪に陥り、自分を責め、私は思いやりがない人間だ、
もっと思いやりのある人になりたいと思っていました。
そして先日、また同じような出来事が起こり、パートナーから「お前は何度言
ってもだめだ。自分を変えようとする努力をしない。」と言われて落ち込みま
した。

こんなに恵まれた環境にありながら、なんで人のことを思いやれないんだ。何
が原因なのだろう。と、深く考えました。
そしちょうどその時、ある友達と出会い、その友達の語った言葉がきっかけと
なって、やっと謎が解けたのです。

友達は言いました。「とってもシンプルなんだよ。ただ、自分が思ったとおり
のことが、現実になる。それだけのこと。」

確かにそのとおり、私だって、私達の発する言葉や想念が、自分の現実、この
世界をつくってゆくということは知っている。そして実際にそれを実行してき
たし、人にも伝えてきた。
それでも、人間関係で、不調和なことが起きてくる。そしてその時は、それも
学びなのだと感謝して受け止めればいいと思ってやってきていたのだ。
そう、ずっと努力してきたのだ。なのに、、、、。

友達は言いました。「想い方にコツがあるんだよ。たとえば幸せになりたいと
思っていると、幸せになりたいと思っている状況になるということ。」

そういうことだったのか。「私には思いやりがないので思いやりのある人にな
りたい。」と、思い続けていた私は、まさにその状況をずっと呼び寄せていた
のです。
想いが現実をつくると頭ではわかっていたつもりでも、長年、自分を否定して
考えるクセがついていたので、無意識にそう考える回路にはまっていたのです。

ということで、これからは想い方を変えることにしました。
「私は本当は思いやりのある人なのだ。その思いやりが心の中からあふれてき
て、まわりの人達に喜びを与える。それはすごく嬉しいこと。それは私の喜び。
そういう喜びの中で私は生きている。」

そして、この言葉を自分に言っているうちに、こんなことをやってみようかな
というアイデアがわいてきました。
それは自分がわくわくすること。そして、誰かと一緒に楽しくなってゆくこと。
寂しさの中で生きる自分ではなく、喜びの中で生きる自分になってゆくこと。
そう思うと本当に嬉しくなってきました。ふふふ。

*********************************************************************

今日は私にとって、特別な日です。
今日、4月29日、みどりの日は、私の誕生日なのです。
そして、今回の気づきは、自分への何よりのプレゼントになりました。

私の心の中に蒔いた、「喜びと思いやりの種」がもう芽を出し始めています。
この種をあなたにもおすそわけしますので、よろしかったら、私と一緒に
「喜びと思いやり」という「いのちの木」を育ててゆきませんか。
それを育てるのには、光と水が必要です。
(私にとって、光とは祈りであり、水とは汗と涙です。)

緑の葉をしげらせた木には、小鳥がやってきて歌を歌います。リスや虫たちが
遊んでいたりします。さわやかな風が吹いて葉っぱがゆれたり、お日様の光が
そそがれます。平和で満ち足りて喜びにあふれた世界です。
私にとって、「いのちの木」を育てるということは、そういう感じが自分の中
で実現してゆくことです。

ということで、今日も喜びにみちた日になります。おめでとう。ふふふ。



NO.15 2004.6.9  お寺めぐり

サワディーカ。バンコクに住むようになって一年が過ぎました。
タイ語はほとんど話せませんが、タイにはなじんできたと感じます。
先日、久しぶりに日本に帰った時に、洗練された細やかな波動を体で感じて、
日本は素晴らしい国だと感動しました。
タイと日本、それぞれに個性の違う二つの国が、どちらも大好きです。

バンコクで、私が目にするタイの人達の暮らしぶりをみていると、低い賃金で
時には過酷な労働に従事しながらも、どこかのんびりとして、明るく楽しそう
な雰囲気があります。色々な問題をかかえていても、この国には平和であたた
かい感じがあって、私の心を解放し、癒してくれる波動を感じます。

タイに来てから、いくつかの観光地やお寺に行きましたが、今、一番気に入っ
ている場所は、サラブリにあるお寺です。
ナンさん(お手伝いさん)と一緒に初めてそこに行った時、午前中のお坊さんの
話、読経、座っての瞑想に退屈して、昼食を食べたら帰ろうと思っていました。
それでも、屋外の木々の間に、歩いて瞑想をするコースがあったので、一度そ
こを歩いてみようと思ったのです。
そしてそこを歩いているうちに、自分の中が澄んでくることに気づいたのです。
それは長年にわたって、その場で祈り瞑想をしてきた人達によって積み重ねら
れてきた波動が、踏みしめる一足ごとに体に伝わってきたという感じでした。

日本でも、神社などに行くとすがすがしい気が満ちているのを感じますが、そ
の波動とは少し違う、心と体が明るくなってくるような波動を感じたのです。
それで、その日の午後からは、本堂の中やその周りをゆっくり歩きながら、過
ごしたのです。

後日のある夜、ナンさんと二人で、サラブリのお坊さんの声が吹き込まれたテ
ープを聴きながら、家の中で歩く瞑想をしようとした時のことです。
テープをかけた時に聞こえてきたのは、日本のテレビでいつも流れていた、喜
多郎さんの「シルクロードのテーマ曲」でした。
そのメロディーを聴いた時、私の心に、懐かしさがこみ上げてくると同時に、
嬉しさが湧き上がってきました。
そして、そのことがきっかけで、私は、日本から持っていっていた日本の歌の
テープをナンさんに聞かせてあげました。それは「赤とんぼ」や「故郷」など
日本人の愛唱歌を、宗次郎さんがオカリナで演奏したものでした。
「奥さん、私ザワザワする。(鳥肌がたつということ)私これ、欲しい。」と
ナンさんは言いました。
そして次の日から、ナンさんはアイロンがけをする時などに、そのテープをか
け、さらに一人で瞑想をする時にも、そのテープを聴いていると、「体が涼し
くなる。(澄んだ感じになる)」と言いました。

それまで私は、タイの音楽を色々聴いていました。若者に人気のポップスや、
タイの演歌であるルークトゥンや、イサーン地方の伝統音楽など、歌の内容は
わからないまま、そのメロディーを楽しんでいました。
そして私にとって、お寺で耳にするパーリー語(サンスクリット語)のお経も
また、心にひびく歌のようなものでした。
私は言葉はわからなくても、タイの音楽のひびきに浸ることで、タイの波動の
中に自分を溶け込ませてゆこうと思っていたのでした。
そして、日本の音楽のメロディーもまた、タイの人達の心に響いてゆくことを
知って、深い喜びを感じたのです。

そしてある日、ナンさんとバンコク市内のあるお寺に行ったとき、そこのお坊
さんがナンさんと同じウドンタニという所の出身だったこともあって、三人で
色々語りあいました。(このお坊さんは、英語を話す人だったので、私は少し
は会話ができたのでした。)
そしてお坊さんの友達が、イサーン音楽の楽器を弾く人だということで、その
演奏のCDを何枚かくださったのです。
さらに、「日本の歌も知ってるよ。「さくら、さくら」とかね。」と言われた
ので、私は思わず、「それなら、私、日本の歌を歌います。」と言いました。

私は、「さくら、さくら」「とおりゃんせ」「七つの子」を歌いましたが、そ
のお坊さんは目を大きく見開いて、じっと歌を聴いてくださって、私は本当に
嬉しかったです。そして、こんど日本に帰った時に、日本の歌のCDを買って
きてプレゼントしようと思いました。
タイのお寺にはいつも読経の声がひびいていますが、そこに日本の歌のひびき
も流れることがあったとしたら、なんか楽しいなと思うのです。ふふふ。


   <約束>

海のかなたの遠い国で 私を待っていてくれた人がいる

海のかなたの遠い国から 私に会いに来てくれた人がいる

いくつもの時代を越えて 今ここで出会うことを きっと約束していたんだね

私の祈りとあなたの祈りが 一つになって 大きな祈りになってゆく

私の喜びとあなたの喜びが 今 響きあう

生まれてきたのは 今ここに在るため

生まれてきたのは 今ここに在るため

いくつもの違いを超えて 一つになってゆく 私とあなた


*********************************************************************

仏教国タイでは、お釈迦様の教えに従って、厳しい戒律を守って、お経を唱え
瞑想をする日々を過ごすお坊さん達がたくさんいます。一般の人達は、そのよ
うなお坊さんをとても尊敬し、その生活を支えています。
お坊さんたちは、お釈迦様のひびきとと一体になることによって、タイという
国に、平和と調和の波動を伝えているのだと、私は思います。

タイの人達はナムジャイ(思いやり)ということをとても大切にしていますが、
それはお釈迦様の慈悲の心の一つの現われだと思います。
タイ語では、ナム(水)ジャイ(心)、水の心と書きます。そして、タイ語で
なみだは、ナム(水)タ(目)、日本語の泪とひびきが似ていますね。



NO.16 2004.7.11  戦う女

サワディーカ。タイで過ごした一年目はとても長く感じられました。
次々と未体験のことに遭遇して、色々な人達に出会って、新しい世界、可能性
が、自分の中に開けてゆくのが、面白く楽しかったです。

そして私がタイで出会ったとても素晴らしい、一人の日本人女性が、最近本を
出版しました。
自然体で、等身大の自分を語る文章が、とても好感が持てます。読み終えて、
本当に勇気づけられました。
「私も痛みを乗り越えて強くなりたい。人生というリングの中で、自分の自由
を奪うこだわりやとらわれを打ち砕き、輝かしい自分になってゆこう。」と、
熱くなりました。

「戦う女。そんな私のこんな生き方」徳間文庫 を書かれた下関崇子さんは、
ムエタイボクサーです。
今は、10ヶ月になる愛娘の育児中で、試合には出ずにムエタイエクササイズ
の講師をされています。
年下のタイ人のご主人(ヨードさん)も、元、ムエタイとボクシングのプロで、
その後トレーナーになり、今は崇子さんと一緒に、育児とムエタイエクササイ
ズの講師をされています。

そして私は、8ヶ月ほど前から、そのエクササイズの教室に通っているのです。
ここでは、音楽にあわせて、パンチやけりの型の練習をするのですが、最後に
ほんの少しだけですが、グローブをはめてのミット打ちや、けりの練習があり
ます。その時は、自分の中にある攻撃性が呼び覚まされ、パンチや蹴りによっ
てそれが発散されることで、気分がすかっとするのです。
私も今では、右ストレートのパンチが重くなってきましたし、けりの上達のた
めに、股関節のストレッチをかかさないようにしています。

ふふふ。仏教国タイのお寺で、静かに瞑想をするのもいいけど、タイといえば、
やっぱり「ムエタイ」でしょう!
ということで、今回はタイの国技「ムエタイ」について。

「ムエタイ」(タイ式キックボクシング)は、いにしえの時代に、タイの戦士が
敵と戦うために身につけていた技で、肉体を最強の武器とするために、技を磨
いていくことで、育ってきた格闘技の一つです。
ムエタイでは、パンチや蹴りだけではなく、肘、膝などの硬い骨で打ち込むこ
とで、強烈な打撃を相手に与えます。

私は、ムエタイの技を見て、美しいと思いました。
命がけの戦いの中で自分を守るための攻撃力と、それをかわす技を磨いてゆく
ことは、肉体の機能を最大限に引き出し、身体感覚を磨いてゆくことにもつな
がります。
最強の攻撃力は、片足で立っても中心軸が安定していること、遠心力を生み出
す腰のひねり、ムダな力を入れずに関節をゆるめたしなやかな体によって実現
します。
(これらは、他のスポーツや、ダンスなどにおいても要求されることです。)

タイの人達が誇りとするムエタイは、肉体の強さと美しさを体現する素晴らし
い格闘技ですが、それが育ってきた背景には悲しさもあります。
ムエタイのボクサーの多くは、タイの貧しい地方出身の人達です。彼らにとっ
て、お金を稼げる唯一の道は、ムエタイの選手として戦うことなのです。
賭博のための職業としてのムエタイでは、多少の駆け引きもあり、とことんダ
メージを与えるということは避けられているとはいえ、彼らは、痛みに耐え血
を流し続けるのです。

そんなムエタイ選手としての道を選んだ下関崇子さんとは、どんな人なの?

彼女は、テレビ関連のリサーチ会社で、働いていた普通の女性で、ダイエット
のために、キックボクシングを始めたのです。
そして、いつのまにかプロのキックボクサーとしてデビューし、その後タイに
来てムエタイのボクサーとして、リングに上がり戦ってきたのです。

彼女の本の中に、デビュー戦の後で友達から来たメールが紹介されています。
「試合後の控え室の私は、まるで赤ちゃんを産んだばかりのお母さんのような
疲労感と達成感と歓喜?が一緒になったような感じだった。」

「試合は痛くないの」というのはピントのずれた質問だ、それは妊婦さんに向
かって「出産は痛くないの」と聞くようなもの。痛い痛くないの次元ではない。
そんなことはどうでもいいのだ。と、彼女は書いています。

そんな彼女もタイに来て四年。今はお母さんになりました。
彼女は、ムエタイエクササイズの教室に、親子三人でやってきます。彼女が指
導している間にヨードさんが子守りをしていたり、ヨードさんが蹴りを受けて
いる時に、彼女が母乳をあげていたりします。

ムエタイがきっかけで結ばれた、崇子さんとヨードさんは、゛ヌア・クーカン
(運命の人)゛同士なのだと思います。

タイと日本との交流をテーマとしていた私は、ムエタイボクサーとなりさらに
タイ人と結婚した彼女の生き方に、さわやかなストレートパンチをくらったよ
うに感じたのでした。

**********************************************************************

タイ人は子供をとても大切にし、可愛がるのだけど、ヨードさんは特に、
細やかな愛情をそそいで育児を楽しんでいる。
とってもいいなぁ。と思う。

  「幸せな赤ちゃん」

いとおしさのあふれる心でたくさん抱かれた赤ちゃんは、健やかに育つ
いとおしさのあふれる瞳でたくさん見つめられた赤ちゃんは幸せに育つ

お父さんが、幸せな心でたくさんだっこして、おんぶして
お母さんが、あたたかい心でたくさんだっこして見つめて
赤ちゃんは幸せな子供に育ってゆく



NO.17 2004.9.13  人間っていいな


サワディーカ。
最近私は、空を見上げたり、風を感じたりしています。
目には見えないのだけど、たとえば空には天使達が住んでいて、その天使達が
発しているやさしい波動が、空から降り注ぎ風に乗って、私の体を包みこんで
くれる。そんな感じがするのです。
心の中が、どうしようもない感情でくすぶる時は、空を見上げて、そんな天使
達に身も心もゆだねたくなります。


先日、自分が作った「人間っていいな」を歌った時、なんだか泣けてきてしま
いました。
その歌詞を作ったときに心に思い描いていた人達のことを思い出したり、何も
わからずに、空回りしていた頃の自分を思い出したのです。

♪人間っていいな♪

いつか友達が教えてくれた 
人間はあやまちをくり返すけど
自分の姿に気づかなくて 人を傷つけるけど 
だからこそそれゆえに いとおしいと

私にはその言葉がわからなくて
おろかさをくり返す人に腹を立てて
自分の姿に気づかない人にいらだって
暗く歪んだ人を嫌い続けた

そして 私やっと 気づいたの
何のことはない私こそが そんな人だった
自分の姿に気づかずに人を傷つけていた

そして 泣きたくなるほど 胸がふるえた
そんなどうしょうもない私のことを
だまって見守って ゆるしつづけて
待ち続けてくれた人達が
たくさんいたことに気づいたの

人間っていいな 人間っていいな
人間が好きさ 人間がいとおしい


この歌を歌う時、私の心には家族や友達への感謝の気持ちがわきあがってきま
す。
たくさん赦された自分を幸せ者だなぁと思います。
そして私も人を赦し、応援できる人間になってゆこうと思います。


♪いのちさん ありがとう♪

迷惑かけて ごめんなさい
ゆるしてくれて ありがとう

今ここに私が 生きているのは
ゆるされて 守られて 与えられているから

食べ物さん ありがとう たくさんのいのちさん ありがとう
たくさんのいのちが死んで 私が生かされている
お魚さん 野菜さん お米さん ありがとう

迷惑かけて ごめんなさい
ゆるしてくれて ありがとう

いのちがみんな一つに つながっているということは
生きるも死ぬも同じことで どちらもいのちが生きること

いのちさん ありがとう


「いのちって何ですか?」「生きるって何ですか?」

私にはまだ、わかりません。この体だけが自分だと感じているうちは、いのち
のことはわからないです。
そして、いのちのことがわかると、死ぬことが怖くなくなるのだと思います。

できることならば、「死ぬことは怖くないよ。」と、言える人になりたいです。
これから先、自分も、家族も、友達も、必ず死ぬのだから。
その時に、穏やかで、明るい雰囲気だと嬉しいものね。


「私のいのちは、生き生きとしてますか?」「私のいのちは 自由ですか?」

いのちを見ることはできないけれど、いのちの働きは見ることができます。
たとえば、今ここ、私はどんな息をしているのでしょうか。
息がつまるような感じはありませんか。

「自分の息に気づいて、自分の息と友達になる」ことは、いのちと友達になる
ことです。


何が正しいのか、何を選んだらいいのか、わからないことばかりです。
そんな時、息を一つの目安にしませんか。
息が深く入ってくる感じと、息がつまるような感じ。
それに気づくことは、いのちさんの声を聴くことだと、私は思います。

いのちさんは、明るいこと、楽しいこと、心が広やかになって深く息が入って
くることが好きなのです。
そんな時に、いのちさんの力が一番自由に、思いっきり発揮できるからです。

頭であれこれ考えることは、わずかばかりの知識と体験の範囲のこと。いのち
さんには、この世界と一つになった広く深い知恵があります。


私の中で息づいている、いのちさんは、最高の友達!
いのちさん、よろしく! いのちさん、ありがとう!

**********************************************************************

私は、日本にいたとき、野口整体の「愉気」や、河野先生の「快気法」を学ん
でいました。
それらは自分の身体感覚を磨いてゆくための練習でしたが、いのちを生かしき
って生きるためのレッスンでもあったのです。

「体が心地よい方に動いていく時、息が深く入ってきて、強い力が出る。」
それを、なんどでも、体で体験することが大切なのだと思います。
ということで、最近は、友達をさそって、そんな練習をしています。

ところで、今日は私にとって特別な日。いのちを意識する日です。
私の体の中に、10ヶ月も宿っていて、私と一体だった新しいいのちが、
この世界への冒険の旅をはじめた日です。

そう、私の息子の誕生日。

祝福と喜びの中で生まれたいのちさん、おめでとう!
いのちがワクワクするような旅を続けてくださいね。ふふふ。



NO.18 2004.10.28  タイダンスの発表会


サワディーカ。
日本で、台風、地震の被害に遭われた方に心からお見舞い申しあげます。
みなさんが受けた苦しみ、悲しみが、癒されますように祈っています。

ところで、私自身も、10月2日に台風の渦のような激しいめまいに襲われ、
それが通り過ぎるまでじっとしているしかないという状況を体験しました。
持病のメニエル病で、今もまだ体にはかすかなゆらぎが残っています。
でも、私はその中で、忘れられない貴重な体験をしました。


タイに住むことが決まった時私は、「タイダンスを習おう。」と決めました。
美しく優雅な踊りを踊るためには、色々なことが体に要求されるわけで、それ
は私の体を育てるのに役に立つに違いないと思ったからです。
そして、タイダンスを踊れるようになれば、日本で仲間と盛り上がる時に、隠
し芸が一つ増える。という下心もありました。

私は、日本人の駐在員の奥さんと子供を対象とした、タイダンスの教室で、親
子ほども年の違うAさんと一緒に入門コースから習い始めたのですが、いつも、
ギリギリかろうじて前へ進むという状態でした。
毎回変わる、慣れない手の動き足の動きを覚えるのに、とても時間がかかるの
です。若いAさんはすぐに覚えて、ステップを踏んでいるのに、私にはそれが
難しくてなかなか覚えることができないのです。
もうだめだ。私にはできない。このダンスは私には向いてない。と、何度も思
いましたが、美しい衣装を着て踊ってみたいという憧れもあって、どうにか続
けてきたのです。

その、タイダンスの年に一度の発表会が2004年10月9日にあったのです。
そして今回は、教室ができて十週年記念ということで、タマサート大学の学生
さん達と、合同の発表会になりました。
前半は大人と子供合わせて40人ほどのメンバーが、教室で習っている踊りを
発表し、後半は学生さん達にプロの人が数人混じって、「ラーマキエン」とい
う物語が演じられるのです。

日タイ・タイ舞踏交流フェスティバル タマサート大学(大ホール)
 協力 日本大使館 タイ芸術局 チケット一般350バーツ

と書かれたポスターを見ても、私には人事のようでピンときませんでした。
タマサート大学は、チュラルコーン大学(タイの東大)についで大きな大学です
が、入ったこともないしどんなところか想像もつきません。昨年見に行った時は、
身内と友達が来ているぐらいの発表会だったのです。

なにはともあれ、自分に割り当てられたダンスを精一杯踊るしかありません。
私はタイでお祝い事の時に踊られる「シーヌアン」という踊りを踊ることになり
ました。
同じ踊りを踊る5人の仲間で一緒に練習をして、やっと皆と合わせられるように
なり、あと一週間で個人的に練習をして仕上げていこうと思った矢先、私は突然
襲ってきためまいのため、起き上がれなくなったのです。

少しでも首を動かすと、吐き気におそわれるという状態で、その日から四日間は
ほぼ寝たきり、その後は少しずつ起きては、寝ているという状態でした。
ダンスの練習どころか、発表会に参加できないような状態で、これからどうなる
のかわかりませんでしたが「なるようにしかならない。でもなんとか参加したい。
きっと参加できるのでは。」と思っていました。

5日から、ほんの少しの時間起きていられるようになり、7日には、皆と合わせ
る一時間の練習に参加できました。
でも、8日になっても、2,3時間続けて起きていると、しばらく横にならなけ
ればならない状態でした。そして、みんなと踊っても体はフラフラで、間違えて
ばかりでした。
そんな状態で、9日の当日になったのです。朝の8時に集合で、開演が3時です。

私はどうなるのか、想像もつきません。体はもつのか?最後まで踊れるのか?
普通に考えると、かなり無理な状態なのに、「なるようにしかならない、流れに
まかせよう。」という気持ちでした。
そして「この日一日だけ、私に特別な力をください。」と、天に祈り続けました。

順番にリハーサルがあり、その合間に、髪を結ってもらったり、お化粧をしても
らいます。始めのうちは、疲れるとイスを三つ並べてそこに横になっていたので
すが、お昼頃には、もう覚悟を決めて、起きていることにしました。
それは、私の中に力が湧いてくるようなことが三つ、あったからです。

一つは、私のお化粧をしてくれたのが、とても綺麗な人だったので、自分も美し
くなっていくようで、心がわくわくして元気になりました。
その綺麗なお兄さん(そう、ここはタイ。美容関係の仕事にはオカマさんが多い
のです。)は、時間をかけて、まるで別人のような顔に作り上げてくれたのです。

そしてもう一つは、お昼の時、一緒に踊る仲間のHさんが、ゆで卵や漬物などを
たくさん持ってきて、ごちそうしてくれたことで元気がでました。
私はあまり食欲もなく持っていったおにぎりを一個食べるのがやっとだったので
すが、すすめられるままに食べた、ゆで卵が、塩味の加減がうまくきいていて、
今まで食べたゆで卵の中で一番美味しく感じたのです。
「頑張らなくちゃね。」と言って、リポビタンDを飲みながら、笑っているHさ
んの気さくで明るい性格にも、ほっと癒されました。

そしてもう一つは、この日、狭い控え室の片隅に、母親につきそわれてずっと横
になって寝ている少女がいたことが、私の元気を引き出したのです。
昨日まで高い熱があり体調がすぐれないと聞いて、私は思わず「ちょっとお手当
てさせてください。」と言って、「愉気」をしました。ほっそりとしたその少女の
姿に、子供の頃の娘の姿が重なって、いとおしい気持ちがこみあげてきました。
その後もその少女は、お化粧室でもイスに横になっていたので、こんどは黙って
何もせずに祈り続けました。そしていつのまにか、少女のためだけでなく、みん
なのために祈っている自分に気がついて、なんだか元気がわいてきたのです。

ということで、体のほうはなんとかもちそうだと思いましたが、踊りのほうは、
おそらくボロボロになるだろうという気がしていました。
広い舞台、たくさんの観客の前で私はどうなってしまうのか、予想もつきません。
病気になる前にもっとまじめに練習しておけば良かったと、日頃の自分のいいか
げんさを責めても始まりません。
困り果てた私が今ここでできる最善のことは何か。

「笑うしかない。」私にできることはそれだけだ。と、思いました。
失敗するだろうかと、不安な気持ちで、深刻な顔をして踊るのはよくない。
間違ったらゴメンナサイ。でも、私はダンスを踊るのが楽しいし、こんな綺麗な
衣装を着て踊るのは喜びなのです。
そして私は日本人。タイの国が大好きで、タイの文化を学びたくて、ダンスを習
ったのです。そう、日タイの交流、親睦が一番。ふふふ。
私はギリギリのところで、自分の心の中をそういった思いで満たして、舞台へと
出て行ったのです。

何度か間違えたことと、体がふらついていたことは覚えていますが、後はどうだ
ったかわからないまま私の踊りは終わりました。
そして次の日から、また体調がすぐれず、寝たり起きたりの状態に戻ったのです。
でも、ゆらぎ続ける心と体で体験したこの日のことは、心に残るタイの思い出の
一つになりました。

そして、そんな私に素晴らしいプレゼントがありました。
この日私は、友達とナンさん(お手伝いさん)とパートナーの三人に、チケット
を渡したのです。そして舞台が終わってから、友達が私の写真をとってくれたの
ですが、それがとても綺麗に撮れているのです。さすが、あのお兄さんが念入り
に化粧をしてくれただけのことがあります。
この証拠写真を見るたびに私は、「微笑むことで勇気を出して前に進んでゆこう」
と自分を励ますことができると思いました。

**********************************************************************

「極楽タイ暮らし」高野秀行(ワニ文庫)の中に、「どういう反応をしたらいい
かわからないとき、われわれ日本人はとりあえずシリアスな顔をする。それと全
く同じようにタイ人はにっこりする」と、書いてあります。
それは、私も体験したことで、ナンさんに、聞いても、「困った時にタイ人は微
笑む」と、言います。
これは、日本人には違和感を感じる振る舞いでもあります。
たとえば、誰かに迷惑をかけた時、私達は困りきった顔をして、「ゴメンナサイ」
と何度もあやまりますが、そんな時に微笑んで、「マイペンライ(気にしない)」
と言うのがタイ人です。
「マイペンライはこっちのセリフでしょうが。こんな時に笑ったりして、反省して
ないのかな。」と、日本人ならますます腹が立ってきそうです。
この場合タイ人は、心の中では困ったなぁと思い、動揺しているのです。そしてそ
んな自分の心を落ち着け励ますために微笑み、自分に対して「マイペンライ」と、
言っているのです。

今回の私の体験も、少しこういった要素があると思います。
微笑みの国タイランドに暮らし、私もタイ人らしくなってきたのかもしれません。
ふふふ。



NO.19 2004.12.29  自分をゆるし祈ろう


サワディーカ。タイにすんで一年半になりました。
色々な体験を通して変わってゆく自分の心をみつめてきました。
そして今、もっと、もっと、自分を赦して、信じてゆこうと思います。

寂しがりやで、欲張りで、いいかげんで、人に甘えてばかり。欠点を数えれば
きりがなくて、「こんな私でいいのでしょうか?」と、思わずにはいられない
私です。

でも、もう欠点を気にするのをやめます。自分の良い所だけを見つめて、そこ
をもっと広げてゆきます。
欠点を意識することで、ますますそういう自分であることを確認し定着させて
しまいます。
たとえ、針の先ほどのいい所(光っている所)でも、そこだけを見ていれば、
明るさが広がってゆきます。

まず自分に対して、このことを実践します。そして、それを周りに広げてゆき
ます。
自分のパートナーに対しても、子供達に対しても、友達に対しても、同じよう
に長所だけを見るようにします。
長年のクセで、つい至らない所、だめな所に目が行くと思うけど、「おっと、
いけない。良いとこ、良いとこ。」と、気づくたびに、修正して、少しずつ良
い所だけを見るクセをつけてゆきます。

自分の欠点や至らない所をそのままにしておくということは、当然、人に迷惑
をかけたり補ってもらうことが多いということです。そして、そのことで自分
を卑下したり、肩身が狭かったり、罪悪感を感じてしまう私でした。
でも、そういう感情は自分の輝きを消してしまうものです。

それよりも、周りの人に感謝し続けようと思います。今の自分はここまでしか
できない。迷惑かけてゴメンナサイ。足りない分を助けてくれてありがとう。
それでよしにします。
そしてその分、自分の良い所、得意なところをもっと育ててゆきます。そうす
れば欠点が目立たなくなって、自分に自信がでてくれば、やれることの範囲も
広がってくると思います。

今、自分のことをこんな風にして育てています。と書いてみて、これは子育て
でも、障害を持った人と接する時でも、色々なことができなくなってきたお年
寄りに接する時も、みんな同じなのだと思いました。
そして、価値観の違う国の人と接する時も、どんな人と接する時も、同じだと
思いました。

「自分を赦し、自分を愛することによって、私の心の中を、明るく平和にして
ゆきます。そしてそれを周りにも広げてゆくことを私は続けていきます。」と
宣言しても、「そんなカッコイイことを言っても、現実のあなたはどうなの。
ほらまた、あなたの無神経さで人を傷つけてるじゃないの。」という言葉が聞
こえてくるたびに、心が暗くなり、やっぱりだめな私だと自信をなくしていた
私でした。でも、もうそんなことはマイペンライ(気にしない)です。

欠点が見えて、だめなように見えて、黒雲におおわれているように見えてしま
う時でも、私の中に輝く所があるのです。
それを忘れないで、それを思い出して、そういう自分に焦点をあててゆこうと
思います。
そして私は、私自身の、そういう日々の地道な努力の積み重ねが、この世界を
明るく平和にしてゆくことにつながっていることを信じています。

2004年は、色々なことが起こった大変な年でした。
私自身も、体調をくずしたり疲れたりで、寝ているしかない状態が多かったです。
でも、マイペンライ(大丈夫)です。きっとすべては良くなってゆくと信じてい
ます。

ところで、タイという国で一番いい所は、タイの人達の明るく美しい笑顔だと私
は思います。その笑顔に接すると、とても幸せな気持ちになります。
お手伝いさんのナンさんも、運転手さんのワタナさんも、守衛さんのトムチャイ
さんも、笑顔がステキな人達です。
みんな、経済的には貧しくて、ほんの少しの賃金で自分の自由を拘束される仕事
をしています。辛いこと苦しいこと寂しいこともたくさんあると思います。

「どうしてそんな笑顔でいられるの?どんなことを感じて生きているの?」と、
知りたくなりますが、私にはわかりません。
でも、私はその笑顔を真似しようと思います。それは私にとって何より一番の、
タイから持ち帰りたいお土産です。

**********************************************************************

12月26日に起きた、インドネシア・スマトラ島沖の地震による被害を伝える
ニュースを見て、ナンさんは「可哀想です。」と言って涙を流しています。
そして、夜、瞑想をしていると、突然の死に遭遇して、行き場所を見失って苦し
んでいる人達の霊魂を感じると言います。
この年末、私は日本に帰りますが、ナンさんは、お寺に行って読経をして過ごす
ので「奥さんも、日本で一緒に祈るです。」と言われました。

仏教国タイで、信仰心のあついナンさんに出会ったことは、幸せなことです。
私達はそれぞれに自分の部屋で、毎日祈ります。ナンさんは瞑想と読経で、私は
世界平和の祈りや「印」を組んで祈ります。
そのやり方は違っても、平和の波動をひびかせるということは同じです。

そして今、世界中で、それぞれのやり方で、世界の平和を祈っている人達がたく
さんいると思います。
悲しいこと、辛いことが起こるたびに祈りは強くなってゆくと感じます。
目には見えないけれど、そうした祈りのひびきが、平和な世界が創られてゆくの
を応援しているのです。
私はそれを信じて、そうした人達と心を一つにして祈り続けようと思います。

世界人類が平和でありますように!私達の天命がまっとうされますように。